凝る、ほぐす

一心塾だより 第100号

 「楽健法(らっけんほう)」という足で全身を踏みほぐすマッサージの施術や普及を長くやってきました。表面の筋肉がほぐれてくると奥の方に芯のような凝りが足裏に触れるようになり、踏まれている人は「こんなところにこんな凝りがあったんですね!」と、ものすごく痛がりながらもびっくりされます。

『二人ヨーガ楽健法経』山内宥厳著より転載

 あまり痛くないように時間を掛けてマッサージしますが、なにしろ骨と見紛うほどに硬い凝りを完全にほぐすには私の技術では難しく、ヨガや筋トレのほうを勧めているので、あまり楽健法をやらなくなってしまいました。
 ところで、凝るということはマイナスの意味だけではないと考えています。おそらく筋肉を凝らせることによって姿勢を安定させるための筋力の不足を補うのではないかと思うのです。筋力を鍛えれば凝りにくくなるのはそういう理由ではないでしょうか。
 筋肉と心はよく似ているとヨガや楽健法をやっているとつくづく思います。カウンセラーとして話を聴いていると、最初は表面的な話で、次第に最もセンシティブな芯のような部分に行き当たります。これを「核心の情動」と私は呼んでいます。情動とは固定的思考・感情・欲求・態度の複合体のようなものでしょう。わかりやすいのは甘えの情動です。「あの人は私のことをもっと労るべきだ」というような固定的思考があって、イライラという感情があって、文句言いたいという欲求があって、でも何も言えずただ避けるというような態度があったりします。
 情動を“ほぐす”にはフォーカシングが非常に効果的です。まず情動に名前をつけるなどして客観化します。上の甘えの情動に、例えば「ぼこぼこ煮立つスープ」と名前をつけて、次にその情動とのうまい付き合い方を模索します。煮立ったままでは熱いので、フーフーして冷ますイメージがでてきました。すると「相手を労る」という、あっと驚くような表現が急に出てきて、情動がすっとほぐれます。
 筋肉が凝って骨みたいに固くなる理由があるように、情動が凝り固まってしまうのも、おそらく安全・安心が脅かされているように感じられる環境や状況があり、それへの対応で「鎧」が必要になるからではないでしょうか。
 環境や状況が悪くて変化しようのないものなら鎧も必要でしょう。しかしその鎧が情動でできていると気づき、固定的思考を論理的思考に変えることで、情動を固めていた感情や欲求を抜いていくことができるかもしれません。そして態度を行動に変えることで、もしかしたら環境や状況を好転させられるかもしれません。でもなんだか難しそうです。
 その点フォーカシングは思考を超えたところからポンと手品みたいにアイデアを出してくれます。考えるのではなく、間を置いて少し余裕で眺めるときに「体験過程」という不思議な力が働いて、情動がなにか意味ありげな(上の例では「ぼこぼこ煮立つスープ」と名付けられるような)“感じ”となり、そこに含まれる意味が表現されることで“感じ”の変化と共に情動がほぐれます。
 私は体験過程という不思議な力を「空」と読み替えます。仏教で言う「空」はこのように体験できる原理なのです。だからどんどん利用して凝りのない心を目指しませんか。

ヨーガ3分話

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