心は気体、体は液体
一心塾だより 第87号
「ヨーガ」という言葉は「つなぐ」を意味しています。自分(我)と聖なる存在(梵)、とがつながること。これを梵我一如といいます。ちなみに宗教を英語で「リリジョン(religion)」と言いますが、これも語源は「つなぐ」ということで、神様と人間のつながりを意味しているようです。
ちょっと考えてみてください。つながるということは、自分という存在と聖なる存在が別々に存在していることが前提になります。
しかし、お釈迦様はそうは考えなかったようです。そもそも自分というのは1個の存在なのかとまず疑いました。確かに体を見れば一つのまとまりです。しかし心はどうかと言えば、状況によっていろいろ変化します。好きな人の前ではほわほわし、嫌なことの渦中ではどよんとする。どちらかと言えば気体みたいな感じではないでしょうか。そういえば「気」と言いますしね。
体だって、肉体という外見を支えているのは摩訶不思議な生命現象であって、イメージ的には液体です。その液体は、海、川、地下水、樹液、生き物の血液など自然界の液体と混ざり合っています。
心という気体と、体という液体。これらが何かとつながることで霊的な高みに至るというのは何となく変な感じです。むしろ、「状態が安定している」、「良いように混じり合っている」というような方向性が求められるのではないでしょうか。こういう考えは道教的なのかもしれませんが。
生命現象も心も、混じり合うことで少し乱れて、やがて新しい安定状態に達するというプロセスを常に営んでいます。食べること、人と出会うこと、学ぶこと、読書すること、新しい文化に触れること、映画や動画を見ること、全てそういうプロセスであり、人間はそうしないと生きていけないし、そうしたくてしょうがない生き物だと思います。
ただ、安定状態に至ることについては、大抵は自然に任せておけばそうなるのですが、悪い習慣、余分な情報、そして変な欲求から不安定状態が助長されてしまうことは多々あります。だからヨーガの目指すべきは、心身が高い安定状態に至れるよう意識や技術を磨いていくことであると私は考えています。
特に大事なことは、自然そのものに安定状態に至ろうとする作用があり、それに気づいて感謝し、逆らわないようにするという姿勢だと思います。その自然の意志に「つなぐ」ことがヨーガなのかもしれません。