比べられる苦しみと甘えについて

一心塾だより 第98号

 どうも人間は評価に弱い生き物です。周りから比べられては落ち込み、周りと自分を比べては落ち込み、そんなことの繰り返しです。

 評価を気にする人は、周りを評価する人でもあります。言葉で評価することもあるでしょうし、ちょっとした仕草などで無意識的に表現していることも多いでしょう。自分が苦しんでいる分、無自覚に人を苦しめています。お釈迦様も、比べることは最後まで残る煩悩であるとおっしゃっていたそうです。

 子どもは親の愛情が他の兄弟姉妹と比べて多いか少ないかが重大問題です。また愛されることに囚われている人は、相手が他の人と自分を比べているのではないかと疑い、嫉妬せざるを得ません。これらは一対一の愛着、つまり「絆の甘え」の問題です。

 学校や勤めている会社の評価、あるいは世間からの評価を気にするのは「場の甘え」の問題です。場(家族、仲間、学級、会社、世間)の中で自分はどのように振る舞えば良いのか、他者はどのように振る舞うべきなのかという思考の基準を求める結果、評価が生じるのです。しかし基準というのはとても流動的で根拠のないものです。それはおそらく誰もが理解しているでしょう。それでもその基準に従って場が動いてしまうので、気にせざるを得ません。これを「場の甘え」と言うのは、評価を得たいという欲求が自分一人では満たし得ず、場に期待せざるを得ないからです。

 「絆の甘え」も「場の甘え」も、満たされないととても苦しいものです。苦しいから「絆の甘え」においては、相手や兄弟姉妹などに対する恨みや怒り、嫉妬、そして直接的な攻撃が生じることがあります。「場の甘え」においては、蔑みやいじめ、ハラスメントなどを行い、相手を貶めることで自分の評価を高めようとします。自慢やうぬぼれ、自己承認欲求も場の甘えから派生します。

 愛情深い人と絆を結ぶことができ、親切な人たちの場に居ることができているなら、これほど幸せなことはありません。しかし現状はそうでないことも多いでしょう。一体どうすれば私たちは比べる苦しみから脱することができるのでしょうか。

 まず自分の中にある「絆の甘え」、「場の甘え」に気づくことが肝心です。「絆の甘え」は生きていくこと、生活していくことへの不安が根っこにあります。それは幼児期の不安の延長です。大人になった今、過剰に一人の相手との絆にすがると逆効果です。いろいろな人の助けを借りながら、あるいは助け合いながら、精神的には「一人で生きていく」覚悟をすることが効果的でしょう。家族と暮らしていても心構えは同じです。
 「場の甘え」に関しては、周りの人に親切にすること、評価の目で見ないようにすることをお勧めします。なぜなら私たちは周囲の人から親切にされること、評価の目で見られないことを心の奥底で望んでいるからです。