トラウマの本当の怖さ

 朝日山という近くの山に登ってきました。新緑と山道が、私の心と足と肺と皮膚を喜ばせてくれました。頂上には真言宗朝日寺があって、その脇の接待所では茶や菓子のサービスがあって、なんだか新緑以上に感動してしまいました。

 でもトラウマがある人は、「足が喜ぶ」なんて感覚を持たないのかもしれないと、ふと考えます。もし過去に部活などで、限界まで足を鍛えさせられたりしたなら、足の痛みや疲れを感じないように心で遮断したままになっているかもしれません。感じようとすると辛い経験まで蘇ってしまうということもあり得ることです。

 勉強もそうかも知れないですね。小中学校のうちに勉強に対して劣等感を抱かされて、その後ずっと勉強に関わることはすべて無視することで、劣等感を封じ込めてきた人も多いような気がします。ところが自分の子どもが小学校に上がると「自分のようになってはいけない」という焦りから、「勉強しなさい!!」と鬼のようになるわけです。

 『身体はトラウマを記録する』の中でヴァン・デア・コークは、トラウマを負うと情動脳(大脳辺縁系&脳幹)が過敏になり、理性脳(前頭葉)と連携を取りにくくなることを指摘しています。そして、情動脳の過敏さを緩和するためには、身体を感じること、呼吸法、ヨーガ、EMDRなどの有効性を詳しく語っています。

 また、情動脳と理性脳の連携によって私たちは「自分がある」という感覚を得られるとコークは言います。トラウマがあると情動脳が生み出す恐怖感や不安、怒りなどがあたかも“ご主人様”のように私たちを支配してしまいますから、私たちはその下僕にならざるを得ません。「自分がない」ですし、自信の持ちようがないですね。

 トラウマを負った人は、それと向き合うことを無意識的に避けているので、その影響をずっと受け続けています。楽しみを奪い、世界を狭め、そして自信をなくさせています。何ということでしょう。でも多くの人がその状態が“日常”であり、「自分はそんなもの」として受け止めています。もったいないことです。

 トラウマと向き合うことが回復の早道なのですが、これがなかなか抵抗が大きいのです。でも呼吸法やヨーガから入るならどうでしょう。もちろん指導法が高圧的だったり、体に遠慮なく触るような先生ならダメですが、無理なく、ゆっくりからだを感じながら行うのなら、きっと情動脳を穏やかにしてくれるでしょう。

 そしてフォーカシングは、これほどトラウマに有効な方法を私は他に知りません。ただ、トラウマを探り当てて焦点を当てるにはリスナーの技量が重要ですし、フォーカサーの方もトラウマと向き合う心身の準備が整っていることが必要です。