自信の根本

 自分はこの世に存在していいのか、何で生まれてきたのか、そんな根本的な問いに苦しんでいる人たちがいます。自信の根本が揺らいでいるのです。誰に打ち明けようもなく、長年一人で苦しんできたとおっしゃいます。若い人に多いですが、家庭と仕事を持った40代以上の人にもいらっしゃいます。

 他者より優れた何かを持っていないと存在価値がないのではないかと、知らず知らずのうちに思い込んでしまったのかもしれません。学校や友だち、家族の誰かからそう思い込まされたということもよく聞くエピソードです。存在価値を高めようと、努力して高い専門性を獲得した方もいらっしゃいます。でもやはり「自分はこの世に存在していいのか」という問いは消えないと言います。

 実はこの問いの答えははっきりしています。他者と比較して優れている必要などないのです。「自分は自分でいい。そのままでいい」と無条件に思えることが、最も根本的な自信なのです。逆に、「自分は〇〇ができる」ということを存在価値や自信の根拠としているようでは、他者を蔑んだり、嫉妬したりする下地を作ることになります。また、「自分は自分でいい。そのままでいい」と思うときに、他者に対しても「あなたはあなたでいい。そのままでいい」と思えますから、コミュニケーションが温かいものになります。

 ではどうすれば「自分は自分でいい。そのままでいい」と無条件に思えるようになるのか、というところが問題です。

 やはり最初は誰かに言ってもらう必要があるのだと思います。もしあなたが「そういえば自分は、自分の存在価値を疑ったことがないな」という人なら、幼い頃誰かに「あなたはあなたのままでいいんだよ」というメッセージを受け取りながら育ったのでしょう。ぜひそのメッセージを与えてくれた人に感謝してください。

 もし誰からもそんなふうなメッセージを受け取ったことがないというのであれば、繰り返し、繰り返し、自分で自分にメッセージを発するのが良いでしょう。「私は私でいい。そのままの私でそのままいい」と。

 さて、「私は私でいい」と曲がりなりにも思えるようになったら、自分の感覚を信じるように努力してください。例えば、あなたが「おいしい」と感じたものは、誰が何と言おうとおいしいのであり、同じく「美しい」と感じたもの、「心地よい」と感じる環境に対し、「これで良いのだ!」とその感覚を信じてください。そう努力しているとますます「私は私でいい」と信じられるようになります。

 ただ、一つ気をつけるべきことがあります。それは欲求です。欲求はあなたの純粋な感覚を歪める可能性があります。友人から嫌われたくないという欲求から、友人が「おいしい」というものに同調してしまうとしたら、あなたは純粋な感覚を鈍らせることになるかもしれません。欲求もあってしかるべきもの、否定すべきではありませんが、自分の心にどんな欲求が潜んでいるのか、気づいている必要があるのです。