自我から無我へ

 自我とは「自分」という意識であり、それには環境や状況、そして身近な人たちを「自分の思い通りにしたい」という欲求が付随します。誰でも「私は快適に生きたい」と願いますし、その権利があります。

 でも当然この欲求は身近な人同士でぶつかりあいますし、環境・状況にしても自分の思い通りになるほうが少ないでしょう。子どもは主に母を通じて自我の欲求を満たそうとしますから、母との関係に関してさまざまな戦術を身に付けていきます。駄々をこねる、いい子にする、媚びる、我慢する、などです。「三つ子の魂百まで」と言われるのは、これらの戦術を大人になっても使い続けてしまうからではないでしょうか。

 もし誰か親切な人が、あなたなりの快適な生き方を深く理解し、受容し、適切なアドバイスをしてくれたなら、あなたは人間関係の戦術から解放され、素直に自分の欲求と向き合えるようになるでしょう。そのように解放された人は、他の誰かをよく理解・受容しようとするでしょう。自我がぶつかり合うとき、お互いが理解・受容モードになれるなら、お互いが満足できる方法が見えてくるのではないでしょうか。

 環境・状況についても、なぜ今この環境・状況になっているのか、事の本質を理解していくことで、環境・状況と自分との一番いい関係というものが見えてきます。このように環境・状況・相手に対する理解を深めることで、「自分」という意識がどんどん広がり、利己的なところが薄れることを一般的に「無我」というのだと思います。

 ところで「思い通りにしたい」というのは、自分のしたいことが頭の中で割りとはっきり言語化されています。それに対して環境・状況・相手への理解が深まっていく過程では、自分とそれらとの関係がどうなるのが一番良いのかということが、最初は漠然とした感覚であったものが徐々に言語化されてきます。つまり無我はプロセスの中のある瞬間にキラリと出現するのです。

自我肥大と集団自我

 もし身近な誰かがあなたの自我とぶつかるのを避けて、迎合してくれたなら、あなたはこの相手を「自分の思いどおりにできる人」と認識し、あなたは少し優越感を味わうかもしれません。こういうのは自我肥大です。人間関係の中ではそういうことが頻繁に起きます。専制的なリーダーが率いる会社なども似た状況です。迎合している方の人は次第にストレスが溜まっていくことでしょう。

 あなたがどこかの団体に所属しているとしたら、その団体の「集団自我」に影響を受けています。集団も一個の人格のように自我を持ち環境・状況、そして集団内のメンバーに対して「思い通りにしたい」という欲求を持つのです。また集団自我は集団としての凝集力も作り出します。また集団同士で利害がぶつかり合うことは個人の自我と同じです。国と国の関係を見ればよく分かるはずです。

 自我肥大したリーダーの影響が強い集団においては、個々のメンバーは洗脳されるか、強いストレスをためるか、自我に蓋をして抜け殻のようにしているかです。可能なら早くそういう集団からは抜け出したほうが良いでしょう。

 理想的な集団は、環境・状況・メンバーとの良い関係を築いていく努力を続けます。ただ、集団自我の凝集力は弱いかもしれないので、理想的な集団というのはゆるいつながりになるのではないでしょうか。無我を目指す人は凝集力の強い集団を好まない傾向にあると思われるので、ゆるいつながりくらいがちょうどよいのかもしれません。