煩悩を断つ

一心塾だより 第104号

 最近学校の先生による盗撮や性暴力事件が頻繁に摘発されていて、お子さんやお孫さんの通う学校は大丈夫なのかと心配になることと思います。こういう事件にすごく不安になる子どもがいる一方で、「先生が悪いことをするなら自分だって」と規範意識を緩めてしまう子どももいるようです。良くも悪くも、子どもは直接的な影響を受けやすいのです。

 加害者は“悪いこと”という意識は持ってはいるものですが、欲求に逆らうことができず、ちょこちょこやっているとその興奮のほうが罪悪感を上回ってしまうようです。そして「自分だけじゃない」とか「安い給料でこき使われているから、これくらいいいんだ」とか、悪事を正当化する思考が働くようになります。根底には根深いトラウマやストレスが影響しているのかもしれませんが、だからといって悪事をその解消方法としてよいわけはなく、別の真っ当な解消法を実践しなければなりません。

 ヨガには「禁戒(ヤマ)」というものが定められています。非暴力、不偸盗(ちゅうとう)(盗まない)、不妄語(もうご)(嘘やデタラメを言わない)、不(どん)(むさぼらない)、不邪淫(じゃいん)(性的に邪なことをしない)という5つです。修行としてのヨガの最初の実践項目なのです。仏教や他の宗教にも同じような戒があります。

 戒など知らなくても、人間は社会的な生き物ですから、社会の中で調和が取れるような生き方をしていれば、自ずと悪いことはできなくなるはずですが、なかなか理想通りにいかないから、ヤマのようなガイドラインが必要になるのでしょう。その意味で戒は宗教的なものというより人間社会的なものです。戒をきちんと実践している人は、自分の言動のせいで周りや自身を不幸にすることはなくなるでしょう。

 戒は(しん)()()に守ることが求められます。非暴力を例に取ると、身体的な非暴力はもちろんですが、暴力的な言葉を吐くこともダメ。そして暴力的なことを考えそうになったときも、早々にそれに気づいて、考えないようにしなければなりません。考えないようにすれば、言葉にもしないし、行動に移すこともありません。だから意(心)の戒が重要なのです。

 瞑想中はいろいろ雑念が出てきます。つい禁戒に触れることも考えてしまいます。人間はそういうものです。そのときにそれに気づいて、「いいねありがとう」と心で呟くことで雑念が一旦止まります。さらにフォーカシングの要領で、考えていたときのからだの“感じ”に気づいて、しばらくその感じに間を置くようにすると、感じは変化して行きます。

 例えば何か欲しいもののことを考えていたときは、胸が渇くような“感じ”になっていたと気づくかもしれません。その感じに「間を置く」とは、感じを否定も肯定もせずに、ただ距離をおいて眺めていることです。マインドフルネスの要領と同じです。すると次第に感じが消えていきます。そのようにして戒に背くような煩悩の根が断たれることになります。こういうことを地道に続ける以外ないように私には思われるのです。

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