2024年4月20日 / 最終更新日時 : 2024年4月20日 一心塾 ヨーガ3分話 業を理解する 業という言葉がありますね。インドの言葉でカルマとも言います。運命といいますか、どうにもならないことといいますか、ちょっとおどろおどろしい響きがあります。 親鸞聖人が弟子の唯円にこんな事をいいます。「お前が私の言うことを […]
2024年4月6日 / 最終更新日時 : 2024年4月6日 一心塾 ヨーガ3分話 因果に落ちる 唐の時代の中国に百丈という有名な禅僧がいて、多くの弟子がいました。ある日見慣れない年老いた修行僧がやって来て、自分は悟ってもいないのに悟ったようなことを言ったために、その後500回狐に生まれ変わることになった。今修行僧 […]
2024年3月30日 / 最終更新日時 : 2024年3月30日 一心塾 ヨーガ3分話 本来無一物とは言うけれど 縄文時代は狩猟採集生活であったと言われています。そのころは取れたものは何でも平等に分け合っていた。所有という考えがなかった。 先週は「貪らない」という戒についてお話しましたが、縄文時代の人たちはそれが普通にできていたの […]
2024年3月2日 / 最終更新日時 : 2024年3月2日 一心塾 ヨーガ3分話 「一切皆苦」とは 本当は苦しいのに苦しんでいることに気づいていないことがあります。または自分では苦しいけど、周りの人がその苦しみに気づいていないこともあります。「一切皆苦」という言葉は、お釈迦様が、まず苦しみに気づきなさいよと諭した言葉 […]
2024年2月28日 / 最終更新日時 : 2024年2月28日 一心塾 一心塾だより 心は気体、体は液体 一心塾だより 第87号 「ヨーガ」という言葉は「つなぐ」を意味しています。自分(我)と聖なる存在(梵)、とがつながること。これを梵我一如といいます。ちなみに宗教を英語で「リリジョン(religion)」と言いますが、こ […]
2024年2月24日 / 最終更新日時 : 2024年2月24日 一心塾 ヨーガ3分話 ヨーガは「つなぐ」ではありますが ヨーガという言葉は「つなぐ」という意味です。また宗教を英語で「リリジョン」と言いますが、これも語源は「つなぐ」です。聖なるものと自分をつなぐということなのです。 でも仏教は少し考え方が違います。つながるなんてことは言いま […]
2024年2月3日 / 最終更新日時 : 2024年2月3日 一心塾 ヨーガ3分話 心のエネルギーの供給源は何? いつもヨーガ教室の最初の方で、足の裏から根が生えて、自分の居場所や好きなものに根を伸ばして、心のエネルギーを吸い上げるということを体感してもらっています。また自分のエネルギーをそれらに注ぐということもしてもらってます。 […]
2024年1月27日 / 最終更新日時 : 2024年1月27日 一心塾 ヨーガ3分話 聴くという修行 先週は道元禅師の言葉から「自己を忘れる」ということについて少しお話しました。今日は別の角度から考えてみたいと思います。 それは相手の立場に立つということです。相手の立場に立とうとするとき、必然的に自分のことは脇に置く […]
2024年1月20日 / 最終更新日時 : 2024年1月20日 一心塾 ヨーガ3分話 自己を習うとは自己を忘れるなり 道元禅師は「仏道を学ぶとは自己を学ぶことである。自己を学ぶとは自己を忘れることである。」といっています。 自己を忘れるとはどういうことでしょうね。先日ちょっと歯が痛くなりまして、ずっと歯の存在を忘れられないでいました。 […]
2023年9月27日 / 最終更新日時 : 2024年3月27日 一心塾 一心塾だより 雑念が湧く理由と活かし方 一心塾だより 第82号 雑念は心が散漫な状態のときに生じる無価値なもの、邪魔なもの、雑なものと認識されて来たと思います。 「雑」という漢字は「まじる、まとまりがない、大まか」などの意味があります。人の理性はまとまり […]