AIと人間らしさ

2026年3月号

 AIがどんどん日常に入り込んで、調べものや翻訳などが格段に楽になりました。悩み相談にものってくれます。しかも上手にこちらの気持ちに寄り添うように応答してくれるので、逆に「気持ちわる~」と感じてしまいます。その感じにはカウンセラー失業の危機も含まれるのかもしれませんが(笑)、“本心”からではなく、計算ずくめでそのように言ってくることに違和感があるのかもしれません。

  AIには「からだ」というものがないので、感じることがなく、感情もなく、“本心”もないのです。逆に、感情や“本心”をAIが持ったなら、それは自我を持つことにつながるので、映画「2001年宇宙の旅」でAIの指示に背こうとする宇宙飛行士をAIが巧妙に抹殺してしまうようなことが起こらないとも限りません。

 「からだ」を持つとは“感じること”です。すべての生き物が感じながら生きています。生きるとは感じることなのです。しかし、感じすぎると生きづらくなります。ですから、生き物は感じすぎないように適度に神経で自動調整しています。でもストレスからこの自動調整機能が狂うことがよくあるのです。

 ロボットには身体があって、センサーがたくさんついていますから、“感じて”いると言えなくはないですが、「気持ちいい」とか「腹立たしい」などとは思わないでしょう。ある条件でそのように言葉を発するようプログラムすることはできるでしょうけど。

 そう考えていくと、豊かな感情こそが“人間らしさ”なのかもしれません。でもそれで人は貪欲になったり、不仲になったり、落ち込んだり、有頂天になったりしますから、困ったものです。だけど、かわいらしくもあります。

 ブッダはすべての“人間らしさ”を超越して悟りの世界に入りましたが、それはおそらく、感じ方を自動調整している神経を瞑想によってマニュアルに切り替え、感じないようにしたり、より精細に感じたり、自由に行えるようになったということかもしれません。この方法は非人間的で、到底受け入れられないだろうとブッダ自身は考えたようですが、時代を経てその教えは、「人間は人間だから哀しく、だからいいんだよ」という、おおらかな思想として現代に受け継がれています。例えば落語などにその影響があると思います。