自在欲求について

 もし自分が王様で、世の中を自由自在に操れたら、と妄想したことはありませんか?

 そうなったら頭しびれるような快感でしょうね。子どもがゲームに熱中するのも、ゲームの世界では自分が王様で、すべてを自分の思い通りにできるから、という部分が大きいのだそうです。

 これを「自在欲求」と呼ぶことにしましょう。例えば自分の手足を自由自在に動かしたいですし、自分の生活空間については、誰にも干渉されたくないと思います。仕事だって自分の思い通りにできたらどんなに心地良いでしょう。

 お気づきのように、「自分の〇〇」と認知している対象に対して、自在欲求はムラムラと湧いてきますし、それが満たされないとストレスを感じます。

 親は「自分の子」に対してこの欲求を向けるものですから、子は徐々に不満をため、反抗期にそれを爆発させるのです。職場においても誰かが自在欲求を発揮すれば、周りはそれに振り回されます。その人は仲間を自分の手下のように感じているのかもしれません。

 さて、ここで視点を内側に転じてみてください。そういう私たちを自在に操ろうとしている内なる自分がいることにお気づきでしょうか。それは、自在欲求を含めた私たちのあらゆる欲求とそれに伴う感情です。感情と欲求は絡み合って、主体(私たち自身)を荒海の小舟のように翻弄します。

 海を平らげ、悠然と、そして自在に進む大船のような主体であるためには、感情・欲求に対する自在を確立する必要があります。

 仏教やヨーガはもともとそこに大きな目標を置いています。例えばヨーガは修行の第一段階を「禁戒」として、「非暴力」、「不妄語」、「不盗」、「不邪淫」、「不貪」の5つを定めています。これを心にも思わないように自身を律せよと言います。「不妄語」とは、嘘をつかないことだけでなく、噂やデマを言わない、自分自身に対して純粋であるなど、様々な局面で自身を律する戒です。「非暴力」にしても、これを完全に守ろうとすれば、すべての言動が慈悲から発せられる必要があることに気づくでしょう。

 仏教でもヨーガでも、初心のうちは欲求・感情を力づくで抑えようとしますが、それは自在欲求からの行為となりますし、往々にして自分自身に対して暴力的になり、確実に失敗します。

 欲求・感情は私たちのモチベーションの源でもありますから、うまく活かすことが自在に至るコツだと思います。その点フォーカシングは、そのコツそのものと言っても過言ではないくらい洗練されています。これを仏教やヨーガに取り入れていくと非常に効果的です。

 また、ヨーガのアーサナや呼吸法をマインドフルに行ううちに、次第にその心地よさのほうが、諸々の欲求に優るようになります。

 このように欲求・感情をうまく活かし、また穏やかにさせることで、自在欲求は満たされていきます。相手を活かそうとするのは、自在欲求を一時的に我慢することではあるのですが、それによって逆に欲求が完全に満たされていきます。「我」を無に帰していくプロセスと言っても良いでしょう。