坐禅との違い
曹洞宗の坐禅は深い海の底に沈んでいくような静かな世界を体験するのだと思います。だから俗世と離れたところで行います。臨済宗の坐禅は、普通に考えていては解けない公案を与えられて、それについて一生懸命考えることで囚われた心から解放されることを目指します。この教室でやっている瞑想は、今生活している俗世の中でうまく適応していくことを目指しています。そのために雑念を大事にします。雑念がいろいろ教えてくれるのです。でもどっぷり雑念に浸るのではなく、ある程度の距離を取ります。もう皆さん慣れてきていることでしょう。雑念は自然に出てくるものです。意図的な考えではありません。自然の恩恵に預かる姿勢が大事です。