体との対話、心との対話

 一心塾のヨーガは体との対話と感謝を心がけてきました。

 筋肉の一つ一つが私たちのために献身的に働いてくれています。それは母親が幼子のために献身的に世話をするのと全く同じことだと思います。ところが幼子は母親から世話されるのはあまりにも当たり前のことで、感謝もなく、むしろ腹を立てたりします。子どもが大きくなって、「お母さんいろいろありがとう」と言ってくれたときには本当に胸が一杯になることでしょう。

 私たちが体に感謝するとはそういうことだと思います。感謝された体の方は、お母さん同様に幸せな気持ちになって、もっと献身しようとするのではないでしょうか。

 また一心塾ヨーガでは、心の使い方についてお伝えしたいと思っています。

 体に対して感謝するのも一つの心の使い方です。感謝するには体は自分の「もの」ではなく、付き合うべき「相手」と認識する必要があります。そうでないと対話も感謝もできませんから。同じように、感情も思考も、付き合うべき「相手」と認識することをお勧めします。

 ほとんどの人が感情や思考を「自分自身」と信じていることと思います。だけど私たちは、「怒っている自分」を認識することができますし、今晩の献立について考えている自分を認識することができます。ということは、認識するということが上位の「自分自身」であって、感情や思考は付き合うべき「相手」なのです。「相手」として認識し、受け入れ、理解してあげることで感情や思考はより良い方向に変化していきます。これが心の使い方です。それは主に瞑想中に行います。

 ところで「認識」には癖があります。何でもネガティブに認識する癖、何でも「大丈夫、問題ない」と楽観的に認識する癖、何でもひねくれて認識する癖。これらの癖も、少し引いたところから冷静に眺めることができれば、「自分にはそういう癖があるなあ」と認識することができます。つまり認識の癖についても付き合うべき「相手」とすることができます。

 ここまで至れば最も上位に位置する「自分自身」であって、ここに至っているときはとても穏やかで、透明な感覚を味わえることでしょう。瞑想するとは、最も上位な「自分自身」でいることなのです。

 穏やかで透明な感覚を維持しながら、自分というものを眺めていると、筋肉と同じく、一つ一つの思考や感情や認識の癖などの心の働きが、良かれと思って一生懸命働いてくれているのがわかります。そのことに感謝して、心の中で「いいね」と言ってあげます。「ありがとう」と言ってあげるのももちろんいいと思います。それだけで少しずつ素直になれます。

 「もっと穏やかにならなくちゃいけない」とか「もっとしっかりしなきゃいけない」などと自分を責めて、マシな自分になろうと努力する人もいると思いますが、現状の自分を否定的に捉えるのは、一つの認識の癖です。最上位の自分自身は「いいね」と受け入れ、理解するだけの存在なのです。そして理解と受容が最も自然な変化を導いてくれます。