幸せになる情緒対話

一心塾だより 第77号

 「ラムちゃん、ご飯だよ」と友人は愛猫ラムに語りかけます。ラムは「ニャー」とやってきて、エサが皿に盛られるのを独特な仕草で待ちます。ラムにとっても友人にとっても幸せな時間です。ラムの方はただエサをもらうだけの存在ではありません。ラムなりに友人と対話をしています。じっと顔を見たり、スリスリしたり、すねてみたり、そういうところが友人にとってもたまらなく可愛いようです。

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友人が癒やされるのはラムとの言葉のない対話によってでしょう。友人は「ご飯だよ」と言葉を発していますが、ラムは言葉の内容ではなく声の調子を聞き、またエサが出そうな状況を察知していると思います。

人間同士の会話では言葉の内容にどうしても囚われますが、心に伝わっているのは声の調子や言い方、その会話がなされたときの状況です。わかりやすいように言葉の内容の方を「内容対話」、後者を「情緒対話」と名前をつけておきましょう。

内容対話は仕事や物事をはかどらせるために重要ですが、情緒にはほぼ無関係です。私たちが幸せを感じられるかどうかは情緒対話がうまく行っているかどうかにかかっています。そして大抵の対話は情緒対話という土台に内容対話が乗っかっています。でも私たちはほとんど土台の方を意識せずに喋っているのではないでしょうか。

  最近ずっとマインドフルネス・ヨーガの教室で取り組んでいるのは、自分の筋肉や呼吸、気持ちとの情緒的対話です。土台の方を徹底的に意識できるように練習しています。自分で自分を幸せにする方法です。

 疲れている、機嫌が悪い、痛みがある、そんなとき私たちは身近な人に甘えたくなります。でも「疲れているからちょっと優しくしてほしいな」なんてことは口に出せなくて、ただ不機嫌になって文句を言ったり怒鳴ったりしています。それが普通の人の甘え方です。おそらく猫はそんな甘え方はしません。ただじっとしているのではないでしょうか。そうやって自分で自分の幸せを保とうとしているのです、たぶん。

 人間が変な甘え方をするのは、不完全な育てられ方をしているからです。でもそれは親のせいではありません。小さな子どもに対しても内容対話で押し通そうとする文化的な問題です。この傾向は近年ますます増悪しているように思います。認知症のお年寄りに対する接し方も同じことがいえます。馴れない介護者は内容対話をしようとして通じないものだからイライラしてしまうのです。

 まず自分自身と情緒対話することで自分の甘えを満たし、そして他者と接するときは土台である情緒対話を意識して対話するようにしてみたらいかがでしょうか。

一心塾だより 第77号