業を理解する

 業という言葉がありますね。インドの言葉でカルマとも言います。運命といいますか、どうにもならないことといいますか、ちょっとおどろおどろしい響きがあります。
 親鸞聖人が弟子の唯円にこんな事をいいます。「お前が私の言うことを何でも聞くというなら、今から1000人人を殺してきなさい」すると唯円は「それはいくらお聖人の言われることでもできません」と断ります。
 一体親鸞聖人はなんでこんな事を言ったのでしょう。私は親鸞聖人は怒っていたのだと思います。唯円が自分の言う事は何でも聞くなんてことを言うものですから。で聖人は言います。「業に導かれるのでなければ人を1000人殺すことはできない」と。唯円はわかっていなかったんですね。人間はどうしようもない生き物であるということを。
 水原一平さんはギャンブルで大変世間を騒がせてしまいましたが、これも彼の業です。業がなければ何十億損するなんてことはできません。同じく大谷選手にもあのような業があるからあのような活躍ができるわけです。人間の思考の及ばないところにあるのが業で、大谷選手が素晴らしくて、水原さんが駄目というのはあくまで人間的な視点ということになります。
 人間的な視点ももちろん生きていく上で大事ですが、人間を超えた視点がないと、ほんとうの意味で救いということはわからない。親鸞聖人はそういうことを唯円に伝えたかったのだと思います。