哲学カフェ

一心塾だより 第25号

新年明けましておめでとうございます。

 昨年は皆さまにとってどんな一年だったでしょうか。今年はどんな一年になりそうでしょうか。
 僕は、昨年は「哲学カフェ」と出会った年でした。だんだん参加者も増え、12月には20人で「生きがいって何?」というテーマで考えを深めていきました。
 今生きていることそのものに意味があるのだから、特別に「生きがい」とか求めなくてもいいじゃないかとか、未来に楽しみなことがあるからそれが生きがいなのだとか、「生きがいを持ちなさい」なんて上から目線で言われたくないとか、様々な考えが述べられていました。
 日本に哲学カフェの種を巻いた哲学者の鷲田清一さんは「『察し合う』コミュケーション文化よりも大事なことは、参加者がたがいに異なる《生》の感触を摺り合わせる中で、それぞれが自らの問題設定の隠れた前提に気づいてゆくことであろう」(『哲学カフェのつくりかた』より)と述べています。12月の哲学カフェでは正に、「生きがい」という一つの言葉に対する《生》の感触が摺り合わされ中で、自分と他者の感じ方の違いを知り、そこから確かに自分の「隠れた前提」に気づかされていったように思います。
 確かに、普段は「相手はこんなふうに思ってるのだろうな」と察し合いつつ、あるいは決めつけて、人付き合いしているわけですが、案外話し合ってみたら「違ってた」ということは往々にありますね。それは非常に非生産的なことだと思います。やはり、真摯に他者の言葉とその背景にある感触を聴くという、時間を掛けたコミュニケーションを心がけたいと、改めて思います。
 さて、フォーカシングの創始者ジェンドリンは、《生》の感触とは何かということを、とことん研究した哲学者であったと言えます。 《生》の感触と、すでに出来上がっている概念の間にフェルトセンスが生じ、そこにフォーカスすることで、新たな言葉や概念が生まれるわけです。哲学カフェとは相性が良いように思います。フォーカシング・サンガは哲学カフェからどんな影響を受けるのか、また試行錯誤の一年になることでしょう。お付き合いのほど、どうかよろしくお願いします。

一心塾だより

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