聴くという修行

 先週は道元禅師の言葉から「自己を忘れる」ということについて少しお話しました。今日は別の角度から考えてみたいと思います。

 それは相手の立場に立つということです。相手の立場に立とうとするとき、必然的に自分のことは脇に置くようになります。これは仏教やヨーガの修行として行うべきだと私も昔考えまして、それで大学院に行ってカウンセリングを学ぶようになった次第です。

 それから20数年経ちますが、未だに聴くというのは難しいです。完全に自分を無にして聴くということはなかなかできません。つい役立ちたいという心が働きます。そこに「自分」が出てきます。