これって瞑想になってますか?
お風呂を愛する人は多いと思います。一人でゆったり、リラックスしていると、いろんなことを考えたり、思いついたりします。次から次から、とめどなく、思考というものは、よくこんなに尽きないものだと感心します。これも、生きている証ですかね。
もしかしたら、お風呂の中で、怒りなどの感情が増幅したり、欲求が強くなったりということもあるのではないでしょうか。そしてお風呂を上がる頃には、すっかり、「あのやろう、今度会ったらただじゃおかねえ」とか、「あれは絶対手に入れる」と決意しているかもしれません。
瞑想中もお風呂の中と同じです。とめどなく、いろんな思考が湧いてきます。「いかん、集中、集中!」と思ったところで、ものの10秒もすれば、風呂の中状態です。
「だったら瞑想なんかやめて、温泉巡りでもしてたほうがいいじゃないか」。ごもっともです。
でも、やっぱり瞑想とお風呂は違うのです。一番違うのは姿勢でしょう。瞑想中はすっと背筋を伸ばしていることを大事にします。お風呂はそうは行きません。特に最近の横に長いタイプの風呂は。
背筋を伸ばしていると、それだけで気持ちが落ち着きます。その状態でいろいろ思考が浮かんできても、感情や欲求に巻き込まれることは、ある程度防げるのです。
瞑想を始めたばかりの人、あるいはしばらく続けている人から、「これって瞑想になってますか?」と質問を受けることがあります。雑念ばかりで、全然集中できていないというお悩みです。
全然OKです。それで瞑想になっています。「雑念」と呼ばず、「想念さま」とでも呼んで欲しいのです。「想念さま、よく出てきてくださいました」とばかりに、丁重にもてなしてあげてください。背筋を伸ばしてそれを行えば、なおさら感情や欲求に巻き込まれずに済みます。実際、想念さまは、そのまま素晴らしいアイデアだったりすることもあるのですから、決して雑念ではないのです。
むしろ、「ものすごく気持ちの良い瞑想でした」、なんて言われるほうが、ちょっと問題です。そういう瞑想は、その間だけの逃避的な体験になってしまう可能性があります。いっときのストレス解消をもたらすでしょうが、現実世界に戻れば、何も変わってはおらず、返って現実世界に嫌悪感を持つようになるかもしれません。たまたま気持ちの良い状態に入っていくのは悪くありませんが、そこを目的とするのは問題があります。
生きている限り、私たちは現実世界と関わり続けます。少しでも現実世界と良い関係を持てることが重要なのです。それは、頭を使って一生懸命考えることではありません。そればかりだと重大な見落としが生じます。
瞑想して、想念さまを丁重に扱っていると、人知を超えた閃きがやってきます。瞑想は世間からの逃避ではありません。世界と自分を良くするものなのです。