「父性」を考える

一心塾だより 第42号

『こころの天気を感じてごらん』の第2部「甘え論」を書いているときに、父性について考えていました。甘えが母性に関係が深いことはわかっていましたから、では父性とはなんだろうというわけです。

 甘えは一体化を求める心です。言葉で言わなくてもなんでもわかって何でも叶えてもらいたいと望みます。まるで子宮の中にいるときのようにです。そして母性はその願いに応えようとします。

 一体化に反して母子を分離し、子を自立に向かわせる働きを父性と考えるのは自然なことだと思います。しかしそれは父親の働きというよりは、遺伝子に組み込まれた成長のプログラムであり、また環境からの働きかけという要因も大きいと思います。

 母性と父性はバランスがとても大事です。一体化状態で十分な心の栄養を取り入れなければ、自立を促す環境に対応することができません。逆に環境の働きかけが弱ければ、一体化状態というぬるま湯の中で成長の意欲を失うかも知れません。このバランスを維持するのもまた父性の働きではないでしょうか。ときには一体化状態が維持できるように必死に守ってあげますし、様子を見て自立を促します。しかし母性は母親の役割、父性は父親の役割というふうに考えないほうが良いでしょう。両者が両方の働きを担っているのが実情だと思います。そして社会も両方の働きを担っています。そのバランスが崩れないよう、私たちは社会を見守る必要があると思います。

 大人になってからは、私たちは自分自身に対して母性的関わり、父性的関わりをある程度施しています。でもそのバランスが崩れると、なんとなく生きづらいでしょう。

 細かい話になりますが、フォーカシングにおいてフェルトセンスを感じることは一体化すること、つまり母性的です。そこから新しい意味を見出していくことは父性的です。そしてこのフォーカシングのプロセス全体を支えることは父性的と言えます。そんなふうに考えてみました。いかがでしょうか。