リスナー考Ⅱ -体験的理解について-
一心塾だより 第46号
「体験的理解」という言葉は、2012年に日本仏教心理学会誌に「体験的理解による『甘え』の超越」という論文を発表したときに初めて使いました。この論文は、私のホームページの論文のページ(https://www.sinsined.com/paper)から読むことができます。
この論文の中で体験的理解について、こんなふうに説明しました。よく調弦した2本のギターがあって、一方のギターが「ミ」を鳴らせば、他方のギターも「ミ」の音がなるように、つまり共鳴現象によって相手のことがわかること、と。フェルトセンスの発する特有の雰囲気にリスナーのからだが共鳴することで、相手のフェルトセンスをダイレクトに体験すること、それが体験的理解です。これは自動的に起こることであって、言葉に頼った他者理解とは全く違います。
体験的理解ができているときは、例えば相手がフェルトセンスを言葉にできないでいるとき、「もしかしたらこんなふうに言えますか?」とリスナーの方から提案することができます。また、相手の言葉がフェルトセンスをぴったり表現しているかどうかも、リスナーの方で判断することができます。そして、前回のリスナー考で述べた「核心」についても、これがそうだなと感覚的にわかります。
魔法のようでしょうか?よく調弦されたギターのように、からだが整っているならごく自然なことなのです。このように体験的理解されるとき、相手は甘えが満たされます。甘えとは「言わんでもわかって」ということなのですから。それは非常に気持の良いことであり、お互いにエネルギーの上がることでもあります。
リスナーのからだが整っていないということは、感覚が鈍って共鳴できないということであり、逆に思い込みによって関係ないところが過剰反応してしまうということでもあります。これでは相手はイライラしてしまいます。フォーカサーやリスナーを繰り返していくことで、きっとからだは整っていくことでしょう。
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