日常会話の中のギフト

一心塾だより 第47号

 「ロジャーズのカウンセリングを学んだ後、妻の話を伝え返しながら聴いたら激怒されましたよ」。私をこの道に導いてくださった恩師が、笑いながらそうおっしゃるので、つられて私も笑いましたが、これはたいへん大きな課題だなあと感じたものです。

 カウンセリングやフォーカシングの技術が、家庭や学校、職場など日常の人間関係の中で活かせるのなら、それは画期的です。特にコロナ下、虐待や不登校、職場のハラスメントの件数が増える中、その思いは募るばかりです。私が10年ほど前から「甘え」についての考察を始めたのも、そのような私の問題意識があったからだと思います。

 フォーカシング・サンガにおいても、感想を伝えることを参加者に促しています。これは、日常会話の中に普通に盛り込める相手に対するギフトです。ですから心を込めて、ギフトのつもりで感想を述べます。仏教で言えば布施です。それは感謝の証であり、慈悲の行為とも言えます。しっかり相手の思いを聴きながら、少しずつ核心に至ること、その結果こちらの内に生じた思いを感想として伝えること、これらは相手の甘えを大いに満たしますし、お互いに癒やしが生じます。

 誰かが自分のことに関心を持ち、理解してくれることで、初めて私たちは自分のことを言語化し始めます。そしてその誰かの目線で自分自身を眺められるようになります。もちろんその最初の誰かは養育者です。家庭、学校と様々な居場所を経験し、その場その場で関心を持たれることで、徐々に自己の客観視が確かなものになっていきます。そして、相手の立場に立ってその気持を推し量ることも可能になります。全ては関心を持たれ、理解・受容されることから始まります。

 もし、ある場において誰も自分に関心を持ってくれないとしたら、その場における自分というものを客観視しにくいでしょう。自分本意な感情によってしか周囲の人を捉えられず、勝手に落ち込んだり、勝手に腹を立てたり不安になったりするのです。また相手の立場に立ってみようなどと発想もわかないかもしれません。その様になっている人を、周囲の人は「わがまま」、「空気が読めない」、「暗い」などと批判的に思うかもしれません。この悪循環から抜け出すのが容易でないことは想像に難くありません。それは虐待や不登校、ハラスメントを生み出す構図です。

 同じ場にいる人たちに関心を向け、理解・受容を試み、そして感想を述べる。フォーカシング・サンガで繰り返し練習されるこれらのギフトの行為が、少しずつでも日常会話に生かされていくことを期待しています。