被害と加害の共依存

一心塾だより 第75号

 いじめ、DV、ハラスメント、犯罪、交通事故・・私たちはさまざまな場面で被害者になったり、逆に加害者とみなされたりします。

 被害に遭うと人生が一変するほどのショックを受けたり、心身に症状が出たりしますから、やはり被害者にはしっかり寄り添う支援者が必要です。しかし、被害を知られることがとても恐ろしい、または恥ずかしいと感じられる場合、一人で我慢してしまう被害者も多いようです。秘密が守られ、信頼できる人や組織に打ち明けることはとても重要です。

 被害者は加害者に対する呵責(かしゃく)心から、謝罪や反省を切望し、頭の中がそのことでいっぱいになってしまうことがよくあります。加害者が身近な相手の場合は特にそうかも知れません。しかしこの状態には気をつけなければなりません。呵責心は被害者自身の心身にさらなるダメージを与え、「こんなに苦しいのは加害者のせい!」と呵責のギアを上げることになります。でもその苦しみが楽になるのは加害者の態度次第、つまり加害者に依存してしまっているという理不尽さに陥ってしまいます。

 この理不尽さを回避するために、被害者は心身の健康を自分の管理下に置けるようにする必要があります。第一に、気晴らしや何かに集中することで思考を切り替えるようにする、話を聴いてもらいながら心を整理する、などが大事です。ヨーガや瞑想はとても良いと思います。第二に、加害者の立場に立ってみることをお勧めします。なぜ相手は加害に及ばざるを得なかったのか、客観的に書き出してみます。または信頼できる人と一緒に考えてみると良いでしょう。これは「赦す」こととは違います。「なぜ」がわかってくることがとても心に良いのです。

 ところで、なぜ加害者は反省しようとしないのでしょうか。加害者には心のどこかに「自分こそ“被害者”だ」という思いがあるようです。加害行為には「自分の痛みを解れよ」という無意識的な意図があるのかもしれません。つまり加害者自身の奥深いストレスの解消を被害者に依存しているのです。その依存は報われようがありません。そのことに加害者自身が気づかない限り、反省もあり得ないでしょう。このように見ていくと、被害者と加害者は、直接的にあるいは間接的に依存しあっている関係と言えるかもしれません。

 もし誰かから加害者とみなされたなら、①自分の中に被害感情がないか確認する必要があります。そして、②もし誰かの態度を変えさせたいという欲求が湧いたのなら、圧力をかけたり、怖がらせるような方法でなく、「こういうことで困っているので、こうしてくれると助かります」というような言い方をするべきです。③他者に迷惑をかけない方法で、自分の心の健康度を高める方法を実践するようにします。④被害者の立場に立って客観的に事態を理解するようにします。

 できるだけ被害者にも加害者にもなりたくないものですが、そのための日頃の心がけとして「加害者意識」を持つことをお勧めしたいと思います。私たちは「良かれ」と思っていろいろやっているようでも、気づかないところで人を傷つけ、多少恨まれ、嫌われたりしているものです。それでも多くの場合「赦され」ていることに感謝しながら生きることで、心の健康度は高まるのではないでしょうか。