感情と欲求と思考の円環的関係

 阿武町からの誤送金を巡って容疑者になってしまった24歳男性。すっかり有名人になりました。かなりお金に執着があったようですが、またそういう人を狙いすましたように4630万もの大金を振り込んでしまうところが、彼の執着の引力とでも言えるかもしれません。しかしその執着は彼をとんでもない事態に陥れてしまいました。

 彼は大金が振り込まれた事実を知ると、説明に来た役場の人を「風呂に入る」と言って1時間待たせ、その間に策を練ったようです。強い欲求が彼の脳をフル稼働させたことでしょう。また、その後の役場からの再三の返還要求に立腹し、彼は「もう金はない。全てカジノで使った」と返還できない理由を正当化します。

欲求性感情と非欲求性感情

 感情にはその背景に欲求があるものとないものがあります。欲求があるものを「欲求性感情」と呼ぶことにしましょう。欲求がないものは「非欲求性感情」です。もし彼の金への執着がそれほどでもなければ、大金の入金に一時的に感情が揺れたかもしれませんが、すぐに冷静になったことでしょう。感情が高ぶるとエネルギーを消費しますし、ネガティブ感情であれば、それに長く浸っているのは体に毒ですから、非欲求性感情は割りとすぐに収まります。

 ところが欲求性感情では欲求が感情を焚きつけるため、ネガティブ感情が長く維持されてしまいます。感情にもいろいろあります。嫉妬などは欲求と感情があからさまに繋がっています。不安は安全・安心欲求を背景に湧き上がる感情でしょう。大事な何かを失ったときの悲嘆はどうでしょうか。おそらく絆への欲求が背景にあるのではないでしょうか。義憤というのもあります。それは誰かを守りたいという欲求であり、その欲求を持つに至った何らかのエピソードがあるのだと思います。

 いろいろな感情の背景を考えてみると、自分にどんな欲求が存在しているのかが見えてきます。人それぞれ自分の欲求に対する付き合い方、満足させ方が違うので、同じ状況にあっても人によって違う感情を持つことになります。

感情が思考を暴走させる

 ところで人は感情的になっているとき頭が忙しく働いて、その感情を正当化しようとします。それは思考の“暴走”と言えるほどです。阿武町の彼はその典型を示しました。彼は自分を怒らせた役場の人に思い知らせてやらなければならない、と自分の怒り正当化し、深みにはまっていきました。感情はいかなる論理も正当化します。ひどく落ち込んでいるときは、「自分なんて生きる価値もない人間だ」という論理も正当化されてしまいます。

 ですから、感情的になっているときは思考の暴走を抑制するよう習慣づけてください。これは以前「辛抱のマインドフルネス12」で説明しましたので、詳しくはご参照ください。簡単に言えば、感情の“感じ”そのものに集中することで思考を抑制します。たとえば「はらわたが煮えくり返る」などと言いますが、その感じそのものに呼吸を落ち着けながら集中するのです。それによって感情の増幅が抑えられ、やがて感情そのものも沈静化します。このようなテクニックを使わず、ただ考えないでいることはとても難しいのです。

 非欲求性感情であれば、テレビや動画、読書、おしゃべりなどで気分転換できます。しかし欲求性感情を別なことで気を紛らわそうとすると、長時間のゲームや飲酒、薬物、ギャンブル、買い物、恋愛など強い刺激を必要としますし、だんだんさらに強い刺激を求めて依存的になっていきますから、ぜひ辛抱のマインドフルネスを実践していただきたいです。

 辛抱のマインドフルネスが実践できたら、次にその感情の背景にある欲求に気づくようにしてください。欲求は何層にも重なっています。表層のものは自覚できても、奥の方の欲求に気づくにはかなり内省を深める必要があります。文学や映画、ドラマはその手伝いをしてくれるでしょう。奥深い欲求に気づけていなければ、それに突き動かされてしまいます。しかし気づくことができれば、その欲求と付き合えるようになります。どう付き合えば良いかは、リラックスして考えたら良いのです。

「雑念」は創造的な自動思考

 感情が落ち着いていて、特に何かに集中しているのでなければ、脳はいろんなことを取りとめなく考えています。それは「雑念」として否定的に捉えられがちですが、脳の自然な働きですから肯定的に捉えたら良いと思います。おそらく、記憶を定着させたり、私たちが日々出会っている環境や状況との上手な付き合い方を、雑念によって探ったりしているのだと思います。その意味で雑念は創造的な自動思考です。

 欲求は自動思考に大きな影響を与えます。欲求を満たすための手段をあれやこれや自動的に考えるのです。欲求が現実的に満たされそうになければ、妄想を作り出して満たそうとさえします。本当に創造的です。

 自覚できていない欲求からは容易に感情が喚起され、感情から現実的でない論理が生み出され、その論理を信じているうちは欲求を自覚することができません。それは苦しみを生むプロセスです。自動思考が否定的に捉えられるのはそのような側面があるからです。

 欲求、感情、思考は円環的な関係にありますが、やはり大もとの欲求に気づくこと、そこが肝心なのです。阿武町の彼に関しては、金への執着が世間に知れ渡ってしまいましたが、おそらくそれは表層の欲求でしょう。きっともっと奥深い欲求があるのだと推測します。この事件をきっかけに彼がそこに気づいてくれることを願うばかりです。